エッセイ

チゴワシノハガイ

松本 幸雄

 JR参宮線の田丸(たまる)駅から乗車して多気(たき)で紀勢線に乗り換えると、一時間三十分で紀伊長島へ着きます(特急は五十分)。
 紀伊長島駅から魚市場へ向かい歩いて十五分。入江にかかった橋を渡ると中の島です。島と言っても陸続きです。
 ここには、一アールばかりの空き地があって、テングサ(正しくはマクサ)の干場があります。
 テングサは寒天の原料となる海藻の俗称です。中の島の空き地には長島の近海で採れるマクサやヒラクサが多いので、採取して空き地で日干しにします。
 私が中の島に出かけるようになったのは。昭和二十六年五月からでした。大潮時の日曜日で日帰りです。
 マクサやヒラクサを干すのは五月から十月までで殻高一.五センチから三センチくらいの微小貝がころころと姿を見せるのです。私の好きな微小貝はイササボラでした。マツカワガイを小型にしたようで赤、黄、青と三色で彩られていました。
 マクサを掻き分けてイササボラが現れると胸がどきんとしました。一日に三個入手するのは至難でした。ヒラクサの中にはニシキサザエが見られました。小型のサザエで色が美しいので錦サザエの名を頂きました。
 志摩郡志摩町和具のヒラクサでもニシキサザエを入手しています。
 中の島から西へ歩いて二十分で海野(かいの)と言うエビ網漁の盛んな漁村があります。十月から三月までの六ヶ月間はエビ網に掛かる貝類を入手する好期です。クロフフジツガイ、ギンギョガイなどの珍種を入手しています。
 二十六年、二十七年の二カ年は日帰り採集だったのですが、二十八年の春から長島町の三浦へ一泊(土曜日)して日曜の朝から三交バスで、古里へ下車し四十分歩いて海野から中の島へと採集を続けました。
 三十一年の七月、マクサの間から私の目に付いたのは淡褐色の殻長一.三センチの二枚貝でした。
 手に取るとフネガイに似ているが小型で殻頂の下が狭くて平らになっているため早速、京大理学部動物学教室の黒田徳米氏へ同定をお願いしました。動物学教室には黒田氏の助手として波部忠重氏が同室されていました。
 三十二年四月、名古屋で貝類学会の会合があり、その節、波部氏から「過日の二枚貝は新種らしいので仮名としてマツモトヒラフネガイと命名する予定」と内 報され、翌三十三年波部氏によって「ミムアーカリア・マツモトイ」と記載され和名も黒田氏案の「チゴワシノハガイ」と変更されました。
 三年後の三十六年五月、大阪・保育社発行の「続原色日本貝類図鑑」を参照して下さい。
 テングサ干場の管理人に、このマクサは大島近海産と聞きました。チゴワシノハガイの分布は三重県から熊本県の五島列島までの水深十から三十メートルまでです。
 中の島のテングサ干場は現在では跡形もなくなりました。テングサ類の採取が行われないためです。エビ網に掛かる物は現在でも入手できます。


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