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マツモトヘソアキゴウナ

松本 幸雄

私は小学校二年生の時、腎臓炎を患って二ヶ月間学校を休みました。その間、家の裏にある花壇の手入れをしているうち、いつしか植物に興味を持つようになりました。
 大正10年、宇治山田中学校に入学し博物学(今の植物学、動物学、鉱物学、地質学の総称)を週二時間担当して貰ったのが槌賀安平先生でした。一年生から 五年生まで、五年間毎週二時間、槌賀氏の授業があり毎時間五分間テストで苦しみました。テスト問題は、実物判定で植物、動物、鉱物の実物が廻されてその名 を書かされました。
 名を知らなくては、研究意欲は起こらない。知ること、知ることと五年間の訓育は私の生物への関心を確実にしていきました。
 昭和十七年、教職に就いた私は当時、三重県津市の三重師範学校(現三重大学教育学部)勤務の槌賀安平先生に田丸城跡の植物について指導を受けました。
 昭和二十三年、組合立城東中学校に勤務し翌年、鳥羽市桃取町で臨海学習を催して以来、貝類に興味を持つようになりました。
 貝類採集を目的として初めて出かけたのは南勢町の宿浦、田曽浦でこの時、一泊して八十五種を採集しました。貝類図鑑で調べたのですが、図鑑に出ていない 物が幾種もありました。誰か教えて貰えないかと学校長に話すと、三重師範学校亀山分校の事務官、金丸但馬氏が貝類について明るいと聞き、早速手紙を出して 同定を願ったところ快諾を得ました。そして玉城町に近い採集地としては伊勢湾に面した有滝町を最適と指示されました。
 有滝町は多気郡多気町の山地を水源とし、玉城町、小俣町、伊勢市を経て伊勢湾へ注ぐ外城田川の河口にある漁港で打瀬網漁の根拠地でした。
 打瀬網はふくろ網と両袖網からなる引き網で風上から風下へ船を横へ向けて、風力、潮力、漕力などで船首と船尾から長い桁を出し網口を拡げて引き網によって漁獲します。
 現在、有滝では二十五隻の打瀬船が採漁しています。
 私が初めて有滝町へ行ったのは昭和二十六年四月でした。自転車で一時間かかりました。魚市場前や道路の横に網にかかった漁撈物(魚、小エビ、蟹類、貝類など)が拡げてありました。鶏の飼料や肥料に用いられるのでした。
 私の求めるのは、貝類で大きな物でヤツシロガイ、アカニシ、中型ではコロモガイ、バイ、二枚貝ではイタヤガイ、スダレガイなど簡単に入手できました。
 私は午前五時に自宅を出て有滝へ六時に着き、一時間半、貝類を探し、勤務校へ八時半に帰るという採集を三ヶ月続けました。
 種名のわからない貝類は金丸氏へ送って同定して貰っていたのですが、小型の貝になると「不明」と書いて返送されるので、昭和二十七年から京都大学動物学教室の黒田徳米氏に同定を仰ぎました。
 有滝から伊勢湾東方水深二十~二十五メートルの砂底から得た小型の巻貝を京大動物学教室へ送ると、黒田氏からはこの貝は絶滅したものと考えられている半化石で生貝は見つかっていないと言う返信でした。
 昭和三十五年、愛知県幡豆郡一色町在住の林奨一郎氏が三河湾の水深三十五メートルから遂に生貝を入手しました。殻高は十.五ミリ、殻径四.五ミリでした。
 最初、黒田氏のところへ同定を求めたのは私だったので昭和三十六年、マツモトヘソアキゴウナと献名されました。ゴウナとは「小さい巻貝」という意味だと黒田氏は教えて下さいました。
 打瀬網で得られる漁撈屑の水揚げは保健所の指示で禁止されたため現在では入手できなくなりました。
 しかし、鳥羽市答志町ではキス網漁が行われ、この網にマツモトヘソアキゴウナが掛かるので、漁師に頼めば入手できますが、生貝は得られずヤドカリ入りの 貝ばかりです。キス網の網目は小さいため生貝は網をくぐり抜け、ヤドカリの足が網に引っかかるため水揚げされます。答志から神島への水深三十~三十五メー トルの砂底に多いと聞いています。